ペンドの思索

無意味な文字の羅列

続・新しい知識を拒絶しないために

新しい知識に出会ったときに、自分の知っていることを持ち出してそことどう違うのかを研究すると好奇心が持てるではないだろうか。興味を持つのではなく、興味の幅を広げる感じ。大学の先生が話したことで印象に残った言葉がある。T字学習という言葉を使っていた。いろんな分野の基礎を学んで、その一部を特化させる勉強法を進めていた。別の先生は別の考え方を探すために、違う分野を勉強するのは意味があると言っていた。他人に興味を持つために自分の知識を利用すべきだと、僕は考えた。けど実はこれは逆方向にも作用していて、新しい知識を得ることで自分の持っている知識がより良いものになっていく、アップデートされるということなのかも知れない。自分のために新しい知識は必要なのかも。でも、だからと言ってホッテントリを見るのはやはりお勧めしない。見ていいものと見てはいけないものがある。本だって良書とそうでないものがある。しかし、他人が批判していても自分には良書である可能性もある。読んでみなければ分からない。人の話も聞いてみないと分からない。ホッテントリも人によっては最高の情報源であり、娯楽なのかも知れない。自分の持っている知識を理解し、分解して見直す。そして新しい知識を得たとき自分の知識とどう違うか研究する。どこまで一緒でどこから違うのか。それが他人の話に興味を持つきっかけになるのかも知れない。

 

以前は、違う部分に注目するべきと書いたが、むしろ、共通点を探すべきなのかもしれないと最近は考えている。共通部分があれば、片方で通じている理論をもう片方にも応用することができる。と書いて、思いついたのが優生学なので、いいことばかりじゃないけれど。自然界での弱肉強食を人間社会で応用しようというのが、優生学だ。しかし、実際に優生学支持者が自然界を理解する気があるのかどうかは分からない。自分の都合のいい部分だけを抜き出している気がする。類似している点をなるべく多く見つけて、そして法則性を見出すことが出来れば、自分の知らない世界を理解することが出来ると思う。