ペンドの思索

無意味な文字の羅列

セックスレスについての再回答

嫁さんとセックスができなくて泣いた

 

全く理解できない。セックスしないと死んでしまう人の気持ちは理解できない。そりゃ、慰安婦も必要だわな。俺には全く理解できないけれど。洗脳されてるんだよ、セックスしないといけないってね。オナニーすればいいじゃん。それで性欲が満たされないなら、そりゃ精神的なものだ。瞑想と運動をして、野菜を350g食べ、睡眠をしっかり取れば問題ない。セックスレスでも手を繋ぐことはできるし、キスぐらいならできるだろ。裁判で離婚理由として認められるなら私はその判決は、おかしいと思う。性欲は蓄積するのか。調べてもいまいち、性欲については分からなかったけど私は蓄積しないと思う。覚せい剤のように体が禁断症状を起こすこともないと思う。もし性欲が起きるとすれば、性欲が蓄積しているから発散しなければならないという考えがあるからだろう。性欲があるからセックスがしたいのではなくセックスするために性欲を起こすのだ。これはアドラー心理学の目的論に似ている。もし、本当に性欲が肉体に影響を及ぼすなら、長期間の禁欲を行うと一日中性欲に悩まされることになる。しかし、そんなことにはならない。禁欲したせいで体に症状がでるなんて聞いたことがない。なるのは精神的な欲求だけだ。(私が知らないだけで、体に症状が出る可能性は十分にある。)というかセックスだろうがオナニーだろうが、射精には変わりない。蓄積したとしても自分で処理すればいい。セックスだけが愛情表現ではない。まじで理解できない。私に言わせれば、依存症予備軍でしかない。性欲はマスターベーションで対処できる。夫婦の愛情はそれこそ、日常生活で育むことができる。デートもしてるし、何も問題はない。足りないのは、思いやりだ。自分はこんなに我慢しているのに、という被害者意識は不要だ。むしろ理解すべきは男の方である。満腹の時に飯は食えぬ。性欲は神経伝達物質のなせる業である。性欲がないものはないのだ。もはや努力でどうこうなるものでもない。健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、相手に性欲がなくなったときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?愛とは相手に求めるものではなく、与えるものである。与えることを止めたときに、愛はなくなるのである。死ねばいい。すぐそこに幸福はあるのに、それを踏みにじる奴は死んでしまえばいい。生きているだけで価値がある。自分はもちろんそうだが、それは奥さんも、子供も同じ。事故に遭い、瀕死の重体になれば、何とか生きていてほしいと願う。それこそ、他のすべてを犠牲にしてもかまわないと思うほどに。それこそが、愛の本質であり、人間の生きる意味である。生きているだけで価値がある。そのことを忘れたときに不幸が始まる。何で私はこんなに怒って文章を書いているのだろうか。xevra氏が大脳の壊れたメンヘラとコメントするのも、もしかしたら義憤に駆られてのことかもしれない。

 

約1年前の記事の再投稿である。引用やリンクを削ったので、意味が通らない箇所があるかもしれない。さて、性欲は強烈な欲求故に回避しがたいものがある。個人差は当然ある。しかし、セックスしなければ性欲が解消できないとは思わない。しかし毎日高級料理を食べている人が、次の日からコンビニ弁当を食べる暮らしを受け入れられないように、オナニーすればいいじゃん、という提案は、到底受け入れられないのだろう。しかし、性欲は妻によって満たされなければならない、という思い込みをすてて、あらゆる選択肢について考慮すべきなのである。その中には到底自分には受け入れられない選択肢もあるだろうが、とりあえず議論のテーブルの上に並べてみる価値はある。それが1週間後か1年後かは分からないが、それぞれの選択肢の意味が理解できるようになる時が来る。固定観念に縛られていた時には見えなかったものが、ふとした瞬間に見えるようになる時が来る。