ペンドの思索

無意味な文字の羅列

主語は大きくすべし 雑談の中の差別を受け入れること

はてなブックマークだと主語は小さいほうがいいとされる。

書籍や論文なんかでは、小さければ小さいほど、より正確になる。

ただし主語を小さくすればするほど、理解しがたいものになる。

大きい主語A、小さい主語A'+(エーダッシュプラス)みたいにややこしくなる。

 

雑談をするときは大きい主語がよい。

雑談とは雑でいい。

なので不正確な情報でも別にいいし、その情報が不正確でも責めてはいけない。

ブログであっても、エンターテイメントとしての記事なら

主語を大きくする必要がある。

 

主語を大きくすることは、レッテル張りになったり

差別を助長させる可能性がある。

そういうことに気を付けながら会話をするのが、本来は望ましいのだが

それに気を付けていては、雑談を楽しめない。

雑談をするときは、差別を受け入れるしかない。

男は~、女は~、B型は~、中国人は~、等々。

そこを否定し始めると、うざい奴になってしまう。

 

僕が人間関係が不得意な理由のひとつは、こういうことを考えているからだと思う。

自分の発言が誰かを否定していないか、気を張りすぎている。

あるいは主語が大きく断定している人と仲良くすることを躊躇っている。

 

中国人はマナーが悪い、という話題になって

そんなことはない、とか、日本人も悪い、とか反論してはいけない。

その場では、そうですね、と相槌を打つべきだと思う。

可能であれば、話題を逸らした方がいい。

 

雑談力が上がる大辞典にも、雑談していたら陰口が始まったら

芸能人の話題にすり替えて、芸能人に犠牲になってもらおうと書かれている。

陰口や悪口を辞めろ、というのは簡単だけれども

その人と今後も関係を続けていかなければならないのであれば

そういう性格や状況を受け入れつつ、回避する術を身につけなければならない。

 

「不寛容を寛容する」

最近ずっと考えている。

政治的な話題では、不寛容を寛容する必要はないと思う。

差別する自由を認める必要はないと思う。

しかし、雑談で出た話題に関しては受け入れるべきだと思う。 

政治的なことばかり考えていると、雑談が出来なくなる。

片方で差別を否定していても、片方では受け入れる心構えが必要だと思う。

 

リベラルは差別を寛容しないけれども

リバタリアニズムは差別を寛容すると思う。

リベラリズムは大きい政府による自由の享受を望みで

リバタリアニズムは小さい政府による自由の享受を望む。

 

最近、左派リバタリアニズム右派リバタリアニズムという言葉があることを知った。

この2つの違いはよく分かっていないので、これから調べていこうと思う。