読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ペンドラゴンの思索

市井の哲学、生きることは考えること

僕は寛容だから不寛容な君の存在を認める。ただし、話は聞くけど賛同はしない。

寛容とは何か。

どうすれば寛容であると言えるのか。

 

togetter.com

 

このまとめは良く出来ている。

自分と異なる意見を尊重する、寛容することについても

同じことが言えると思う。

 

移民を受け入れるかどうかを例にとると

・全面受け入れ

・条件付き受け入れ

・全面反対

と色々意見があると思う。

 

100人いて100人とも同じ意見なんてありえないのだから

それぞれの言い分を聞いて、それから最終的に判断する必要がある。

 

すべてに対して寛容な人間というのは存在できるのだろうか。

不寛容な人間に寛容であるというのは矛盾しそうである。

全知全能の神が自分では持ち上げられない岩を創る矛盾と似ている。

あるいはクレタ人のパラドクス。

 

命題A リベラルは寛容ではない

命題B 命題Aと命題Bのうち、どちらか一つだけが真である

 

 命題Aが真であると仮定する。そうすると命題Bは偽でなければならない。なぜなら命題B自身により、命題Aと命題Bのうち真となるのは一つだけだからだ。

だが命題Bを偽とすると、もともと命題Aは真であると仮定したのだから命題Aが真、命題Bが偽であるので、命題Bの内容は真となる。つまり命題A、Bとも真になってしまう。

これは矛盾である。

だから命題Aを真と仮定したことが間違いで、命題Aは偽でなければならない。

そうすれば、命題Bが真であっても偽であっても矛盾は発生しない。命題Bが真であれば、命題Aが偽、命題Bが真ということで、矛盾は発生しない。命題Bが偽であっても、命題A、命題Bとも偽ということで、やはり矛盾は発生しないからだ。 

 

www.watto.nagoya

 

証明終了

リベラルは寛容でした

めでたし、めでたし

 

d.hatena.ne.jp

 

こういった議論の目的は「話し合っている人達の意見を同じにする」ことではなく、「他者の意見を知ること」と「どちらかに、自分の意見を放棄させる」ことです。

 

 議論したら、心からわかり合え、みんなが同じことを信じるようになる、なんてのは幻想です。

だから民主主義というのは、最後は「多数決」なのです。

いろんな意見をみんながバラバラに主張し、最後にどうするかは選挙で決めます。「数が少ない人が自分の意見を通すことを諦める」というルールが民主主義です。

 

www.yutorism.jp

 

 多数決っていうのは、十分な参加者・時間をかけて議論を行った上で、それでもなお残った一部の少数派が結論の形成を除外している時のみ使うべきものであって、『基本』というのはちょっと違うんじゃねえの?と思う今日このごろで御座います

 

理想としてはそうだろうけど

自分の意見は譲りたくない。

相手の話も聞きたくないのが人間。

公約を掲げて当選した以上一つでも多くの公約を実現させたい。

絶対反対、譲歩しない人がいる以上

最終的に多数決しかない。

 

そして、相手も公約を掲げて使命を帯びて政治をしている以上

妥協はしたくない。

 

TPP絶対反対って公約に掲げて当選したのに

TPP推進しますって言われたらショックでしょ?

TPP反対を妥協して推進する代わりに、安保法案は妥協しませんってこと?

 

どれだけ議論を重ねても納得できないものは納得できない。

自分を信じて投票してくれた有権者のためにも妥協はできない。

そういう人達がそれぞれ議員になってる。

 

話し合う必要なし。

議論も必要なし。

さっさと多数決で決めればよい

という人を寛容するとどうなるのか。

 

「そうか、僕は寛容な人間だから、議論も必要ないな」

ってことになるのかな。

 

それとも、あなたが「議論は必要ないと思っている」ということは分かりました。

では、議論が必要ないかどうか、議論して決めましょう。

ってことになるのだろうか。

 

寛容な人間はいない。

それが、僕の今のところの結論です。

 

寛容論 (中公文庫)

寛容論 (中公文庫)

 

 

100分で名著のスペシャル放送 100分で平和論で紹介された書籍

内容は忘れた。

録画してあるので、もう一回見てみようと思う。