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ペンドラゴンの思索

市井の哲学、生きることは考えること

ポリコレ、ハラスメントについての暫定的な結論 「良く分からない」 「ケースバイケース」

分からん。

駅乃みちかとか碧志摩 メグとか、考えても答えが出ない。

 

bylines.news.yahoo.co.jp

 

joshi-spa.jp

 

例えばこれとか、違いが分からない。

萌え絵が町中にある光景には抵抗がある。

しかし、排除できないのかもしれない。

 

わいせつ物関連の法律も、根拠ははっきりとしていない。

ゆえに、この論争には決着が着かない。

 

ヘイトスピーチも現在も議論が割れている。

どこまで表現の自由なのか、どこからヘイトあるいはハラスメントなのか。

 

女性器の模型は芸術だが、データを公開するのは違法。

www.huffingtonpost.jp

 

裸と恥についても、調べてみた。

 

 

江戸時代の日本

服がはだけていても、気にしなかった。

混浴が普通だった。

ただし、ジロジロ見ないというマナーがあった。

non-rolling-dig.hatenadiary.jp

 

まず近代以前において、日本は「裸の楽園」であった。江戸の庶民が上半身裸で労働していることは当たり前であったし、女性は人前で乳飲み子に乳を与えていた。幕末に日本を訪れた外国人は一様に、裸体が街頭にあふれていることに衝撃を受けている。とくに外国人が驚いたのは、混浴の公衆浴場で、男女が全裸になり風呂に入る光景は外国人にとってはまさにアンビリーバボーだったようだ。呼ばれてもないのに黒いイカした船で幕末日本にやって来たペリー総督なども、この混浴の習慣に不快感を示していたという*1。

 

裸族

裸族の性的興奮について @ [民俗・神話学板] | 博士ちゃんねる

昔、アフリカの部族だったかな。
思春期の男子に動物の角を施し、その角で性器をケースのように、被って見えないようにするのは上半身裸で生活している女性に、対しての性的反応を隠すため、ってのをテレビで見たことがあるよ。

 

2ちゃんねる error 1503 裸族の性的興奮について

17 :名無しさん@社会人:2006/05/16(火) 15:38:15
むかしの日本や朝鮮では、若い女が胸を出して外を歩いたり農業や漁業をしている 姿はそれほど珍しい光景ではなかったらしい。ふしだらな格好とも見なされなかった。 オレの祖母の証言を得ているから事実だったんだろうと思う。 そういえば、オレのガキのころには、若い母親が人前で胸を出して赤ちゃんに母乳を 与える姿がまだまだ見られた時代だった。いまではそうした光景も見られなくなった。で、若い女のトップレス姿が日常的に見られた漁村や農村の男たちに果たしておっぱい フェチはいたのかどうか?残念ながら祖父の証言まで得ることはできなかった。むかしの朝鮮の女性の場合には、胸を出すことは平気だったけど、人前で靴を脱ぐ ことを非常に恥じらったとか。また、とある裸族の女達は腰紐だけを身につけて性器 を隠さず生活していたらしいが、彼女たちは、その腰紐が外れることを非常に恥じら ったという。ということはつまり、文化によって羞恥心を抱く「体の恥部」が異なり、 性的なフェティシズムの対象も異なっていた可能性も考えられる。

 

30 :名無しさん@社会人:2006/07/28(金) 23:50:51
裸族の人たちはみんな、異性の裸を見慣れてるのかと思ってたけど
必ずしもそうではないらしい。

「裸体とはじらいの文化史」という、1980年代後半に書かれた本に
裸族についての記述があったのだが、

パプアニューギニアのクウォマ族(現在は裸族ではない)では、
婦人や少女の陰部のあたりを眺めているところを取り押さえられると、
小さな男の子でも罰せられる。
万一思春期の男の子や若者が少女の陰門を見ようものなら、
それは彼女に言い寄ろうとするのだと見なされ、少女の親族によって
報復されることだろう。

 

31 :30:2006/07/28(金) 23:59:18
ひょっとして心ならずも女の腹を見てしまう場合でも、男性は
罰則によって絶えず脅かされている。それを免れるため彼らは
女性がそばにいる時は大抵ずっと地面を見続けるか、できるだけ
女性に背を向けて立ったり座ったりする。だから小道で出くわした
男女は、背中合わせでしか歓談してはならない。

もちろんクウォマ族の男性は間接的観察の達人である。たとえば、
女性が2,3人男性の集団のそばを通り過ぎると、彼らはなるほど
礼儀正しく視線を落とすか、目をそらす。だからと言って、後で
当の女たちの陰唇や乳房の詳細について語れないわけではない。

 

32 :30:2006/07/29(土) 00:11:02
かつてニューブリテン島のクナントゥナ族の間では、男が知り合いを尋ねた時、
主人の妻や成熟した娘はさっと挨拶を交わしたら、ただちに小屋の後ろへ
消えなければならなかった。クナントゥナ族は裸で生活していたので、
客やその場に居合わせた全ての人びとに、裸女を目の前にしてペニスが
硬直するという、とんだ恥をかかせないようにしたのである。

かくの如きペニスの淫らな反応は女性を性的に侮辱するに等しかったから、
そんなことになれば、当人にとっても後々まで祟っただろう。
(クナントゥナ族の女性は藪の中で男性に出会うと、彼が通り過ぎるまで
背を向けた。だから男が彼女の陰部のあたりをちらりと見るチャンスは
まったくなかった)

 

ヌーディストビーチ

gigazine.net

 

ジロジロ見てはいけない。

 

混浴

www.gardensoftheberkshires.org

 

dot.asahi.com

 

男女平等というのは難しい。

なぜなら平等じゃないから。

裸を見られて恥ずかしがる男性は少ないが

女性の場合は大部分が恥ずかしい思いをする。

男が恥ずかしくないからと言って、平等に女性を裸にしていい訳じゃない。

相手に配慮しないといけない。

 

しかし冒頭にあげた萌え絵は飛行機ツアーは、何がいけないのだろう。

マッチョツアーはなぜ許されているのだろう。

男性が女性を抑圧していた、という歴史がある。

その歴史を踏まえて、という考えなのかも知れない。

しかし、現状だけを切り取ってみれば逆差別である。

 

日本がアジア諸国に対して植民地政策を行った歴史があるため

現在でも謝罪しないといけない。

しかし現代を生きる人々にとっては過去の話で、自分には関係がない。

自分が生まれる前の責任を取らされるのでは、たまったものではない。

共同体というのは合理的であるが、個人にとっては不条理でもある。

 

www.sankei.com

 

ネットの炎上に対して、企業や団体はどう対処すべきか。

ほとんどの場合ノウハウがないので、取りやめることになる。

面倒ごとは誰だって避けたいのだ。

 

togetter.com

 

続行するものの非公開という手段を取ったよう。

少数派は無視していい、ということにはならない。

が、少数派の意見が優先されれば

民主主義の否定であり、独裁になる。

伝統だからという意味では、金魚放流も当事者にしてみれば伝統だ。

 

また、批判すること自体を批判してはいけない。

金魚を放流するのは虐待ではないのか。

蛙を殺すのは虐待ではないのか。

声をあげることまで否定してはいけない。

 

とは言え、神社の前で蛙の着ぐるみはウザいのは分かる。

彼らは動物愛護を広く伝えることが目的なのか

それとも神社を攻撃するのが目的なのか、分からない。

 

「戦争反対、戦争推進派は死ね」

となれば、もはや平和団体ではない。

「糖尿病患者を自己責任にするアナウンサーは死ね」

これはアリ?・・・いや、なしだろう。

 

萌え絵を批判する人に

フェミキチ、クソフェミと罵る。

オタクvsフェミニストという泥沼の試合になる。

前にも書いたけど、主語がでかいから無関係の人まで

巻き込んでしまう。

あなたはオタクを否定したいだけですよね、それは差別です」

と言えばいい。

女は、とかフェミニストは、とか主語を大きくするからややこしい。

 

とは言えネットである。

嫌なら見るな。

ネットは戦場である。

自由参加の戦場にわざわざ出向いて行って

喧嘩は良くないと言う方が、よほど馬鹿なのかも知れない。

 

裸はいつから恥ずかしくなったか ──「裸体」の日本近代史 (ちくま文庫)

裸はいつから恥ずかしくなったか ──「裸体」の日本近代史 (ちくま文庫)