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ペンドラゴンの思索

市井の哲学、生きることは考えること

私は「リア充死ね」と思っている

先に書いておく。

考えることと、行動することは、大きく異なる。

殺したいと思うことと、実際に殺すことには大きな隔たりがある。

 

ニコニコ動画では、ネタとして

リア充爆発しろ、と使わている。

最近見ていないから、分からないけれど。

 

秋葉原通り魔の犯人の気持ちは分からなくもない。

いや、実際には分からない。

他人の気持ちは結局、想像で語るしかない。

 

だから想像で考える。

どうにもならない現実を社会のせいにしたい気持ち。

自分より幸福な人間がいなくなったら幸せになれる

という書き込みを見たこともある。

そんなもんだ。

 

不幸な事故は心の朝ごはん。

他人の不幸で飯が上手い、というネットスラングあったなぁ。

 

私は他人を妬んでいる。

恐らくこの感情は一生つきまとうだろう。

でも、それでいいと思う。

 

だからこそ、社会を変えていこうと思える。

生きる原動力になっている。

 

劣等コンプレックスではなく、劣等感をもつこと。

体が弱かった人が曲芸師になるように。

クラスで浮いていた人が芸人を目指すように。

 

劣等感は動力源になる。

死ね、なんてことを書かない方がよかったと思う。

つい最近も芸能界から干された人がいるし。

でもやっぱり書いておく。

これが私だから。

 

事故があっても悲しまない。

震災があっても泣いたりしない。

事件があっても他人事だと思っている。

 

でもいじめがあったら憤るし

自殺した人がいれば社会を変えなければと思う。

 

たぶんそれは、僕が体験していないからだと思う。

事故にあっていないから、震災にあっていないから、事件に巻き込まれてないから。

でも、それでいいと思う。

経験していないことを理解することは難しい。

それに、あらゆる人間を心配していては生きていけない。

全ての人間を助けることは不可能だ。

自分にできる範囲で、無理のない範囲で、できることをしていきたい。

 

私が娯楽に遣うお金を難民支援やアフリカの貧困層に届ければ

どれだけ多くの命が救われるのだろう。

でも私は募金しない。

後ろめたさ感じながら。

 

知らなければ許されるかもしれない。

しかし、知ってしまった以上助ける義務が生じると思う。

知りながら放置するのは、見殺しにすることと同義。

そんな風に考えたこともある。

 

貧乏なのに子供を作るのが悪いとも考えたこともある。

私が結婚していないから、子どもがいないから

だから、他人を助ける必要はないと考えたのだろうか。

それとも、助けない罪悪感を消すために責任転嫁したかったのだろうか。

 

しかし、子どもを産まないというのは、一つの解決策でもあると思う。

まぁいいや。

 

すべての人間を救うことなどできない。

カルネアデスの板である。

 

自己責任論は、そういう考えからの救済である。

死んでしまったのは自己責任であると考えれば

私に責任はなくなる。

 

魅力的な考えはあるが

それでも、私は救済したいと思うし

救済されたいとも思う。

 

なんだか良く分からない記事になってしまった。

とくに言いたいことはないけれど

とりあえず、自分の中の悪性を書き出しておきたかった。