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ペンドラゴンの思索

市井の哲学、生きることは考えること

感動ポルノを超越?

www.nikkansports.com

 

パラリンピアンたちを見ていると、「感動ポルノ」がいかに陳腐であるかが分かる。演出のないアスリートたちの戦う姿は、視覚障害も下半身まひも忘れさせる圧倒的な力がある。「かわいそう」や「頑張って」の同情が入り込む余地がない。パラリンピックは「感動ポルノ」を超越した、障がい者の真の姿に感動できる。

 

何かを達成しなければ価値がない。

そういう社会になる。

男女平等は文字通り平等にすることを意味している。

それは女性を助けるのではなく、女性を男性として扱うことにある。

もっともそれは職場だけで、家庭での男女平等が進んでいるとは言い難いが。

 

障害者を健常者と同等に扱うことは良くない。

もっとも平等ではある。これは言葉の使い方が難しい。

嫌われる勇気では、「同じではないが平等」という言葉が使われている。

大人と子どもの違いについて述べた部分だ。 

 

感動ポルノを批判している人には色んな種類ある。

・やらせが嫌いな人

・マスコミが嫌いな人

・24時間テレビが嫌いな人

・ボランティアが嫌いな人

・寄付が嫌いな人

障碍者が嫌いな人

・かわいそうな人を見るのが嫌いな人

 

24時間テレビは感動のおしつけと言われている。

ではオリンピックは感動のおしつけではないのか。

マラソンなら一人で走ればいい。

わざわざ大会に出る必要はないし、テレビ中継をする必要もない。

インタビューに答える必要もないし、テレビに出演する必要もない。

視聴者が感動する恐れがあるので、感動しないように配慮しなければならない。

 

馬鹿馬鹿しい。

嫌なら見なければいい。

視聴率が落ちれば放送はなくなる。

見る人がいるから続いている。

何で感動するかは見る人の自由だ。

障害者はパラリンピックに出てもいいが

富士山に登ってはいけないのか?

ダンスを踊ってはいけないのか?

それに感動してはいけないのか?

 

 

この記事とは関係ないが、xevra氏にブコメされた。

恐ろしくて、読む気がしない。

読まずに、そのままにしておこう。

触らぬなんとかに祟りなし。