読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ペンドラゴンの思索

市井の哲学、生きることは考えること

上から下に評価せずに褒めることは可能か?

謎を謎のままにしておくと、結局その謎に行きつくことになるので

早いうちに解消しておく必要がある。

 

アドラー心理学では賞罰教育を禁止している。

褒めるという行為は上から下に評価するからだ。

子どもが片づけをして「よくできました」というのは

上から評価しているのだという。

配偶者が片づけをして「よくできました」と言えば

反感を買うだろう。

という説明がなされていた。

 

しかし、褒めるという行為は何も自分より立場が下の人間にするわけではない。

友達やあるいは、上司や親にだって、褒めることはある。

会社の上司が何かの賞や資格試験に合格すれば「おめでとう」と言うだろう。

あるいは「すごいですね」と褒めることもあるだろう。

 

褒めてはいけない、という言葉を文字通りに受け取ると

やはり窮屈になるどころか、会話が成り立たない場面も出てくる。

これは嫌われる勇気にもアドラー心理学入門にも書かれていなかった。

良く分からないまま放置していた。

 

そこで今回感動ポルノという言葉について考える機会があった。

あらゆる場面で感動してはいけないのかという問いにぶち当たった。

何も成し遂げていない障害者に、達成賞を与える必要はないというのだ。

褒めてはいけないと似た構造だ。

健常者が障害者を上から評価しているから、良くないというのだろう。

 

ではオリンピックを見て感動するのはどうだろ。

これも上司が資格試験に合格して「すごいですね」と褒めるのが

上から評価しているのではないように

オリンピック選手を自分より立場が下だと思って感動しているのではない。

 

評価せずに褒めることが可能であれば、そうすべきである。

しかし褒めることは必ず評価を伴うのであれば、褒めてはいけない。

パラリンピックは同情なのか。障害者を見て感動してはいけないのか。

 

感動ポルノについては、ちゃちゃっと結論を出して

これ以上深入りしないつもりでいた。

しかし、どうも難しい問にぶち当たったようだ。

これに関してはすぐに回答が出せそうもないので、

数か月後に改めて記事にしようと思う。

何か答えが出せればいいのだけれども。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え