読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ペンドラゴンの思索

市井の哲学、生きることは考えること

同情してはいけないのだろうか?(感動ポルノの考察)

犬の散歩しながら考えた。

 

・震災にあって復興を頑張る人

・自分の意志で派遣社員を選んで働いている人

・正社員になりたいけどなれない人

パラリンピックで頑張っている人

 

色んな人が色んな努力をしている。

 

同情やかわいそうと思うのは差別につながると言うけれど

考えただけでもいけない、というのは無理があると思う。

やめるべき差別は、名誉棄損や侮辱だけでいいと思う。

同情まで禁止にしたら、本来必要な援助さえなくなってしまう。

 

ブラックジャックによろしくという漫画で差別について書かれていた箇所がある。

売ってしまって手元にないので、正確には引用できない。

無料で読めるはずなので、気になる人はDLしてもらいたい。

「お年寄りに席を譲るのは、弱くてかわいそうだという差別的な感情だ。」

という話が出てきます。精神科編です。

 

ryo71724.hatenablog.com

 

今回の教訓としては、「困っているであろう人が、本当に困っているのか見極めてから行動にうつそう」「本当に困ってるのか確認してから手助けしよう」ってことかな。

 

ぐぐってたら、こんな記事があった。

結局、これが正しいのかもしれない。

 

 

ボランティアは偽善だろうか。

可愛そうだと見下していのだろうか。

確かに千羽鶴は邪魔になるだろう。

では、震災のあった地域にボランティアに行った人は?

寄付をした人は?

可愛そうな人を憐れんでいるのではないだろうか?

そして、その感情はそんなに悪いことなのだろうか?

 

困っていない人を困っている人に仕立て上げるのは良くない。

24時間テレビはそこが問題。

というか、マスコミ全体がそういう体質。

それは今後改善すべき問題。

 

それとは別に、困っている人に同情するのは悪いのかという問題。

 

d.hatena.ne.jp

 

「同情」は、あくまで自分の価値判断で起こる感情ですが、
「共感」は、相手の思いの世界を実感を持って感じることが必要になってくる「心」の所作のように思えます。

 

うーん。分かるような、分からないような。

 

togech.jp

 

無関係だから怒っちゃだめ?

 

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia

 

「同情がむかつく」がわからない。

例えばアフリカの飢えた子どもを同情するのは同じ目線に立てたからか? 同情は字面だけで実は蔑み憐れんでいることがわかるからむかつく。そのセンサーが壊れてるかブクマ狙いの逆張りおもしろ文なだけだよなコレ。

2016/05/14 08:08

b.hatena.ne.jp

 

「同情がむかつく」がわからない。

一方的に哀れまれるとマウンティングされてる気分にならない?

2016/05/14 08:05

b.hatena.ne.jp

 

う~ん。分からない。

同情されたことないし。馬鹿にされたことならたくさんあるけど。

 

同情は憐みのこと。

憐みは悪いこと。

憐みって何?

 

同情=見下しという意味なんだろう。

これは辞書を引いても意味ないと思う。

さて、見下さずに共感できるだろうか。

「分かったつもり」になるだけでは?

 

同情について、もっと考えてみようと思う。

 

 

いつもサムネ画像用に適当にamazonでそれっぽいのを検索して貼り付けている。

今回も同情で検索したら、出てきたのだけど何だか興味深い本である。

とりあえす、欲しい物リストに入れておいた。

何日か経って、まだ欲しかったら買おうと思う。

取り合えず、衝動買いだけは防いでおく。