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ペンドラゴンの思索

市井の哲学、生きることは考えること

選挙に行く必要はない

www.whitestyle00.com

おめでとう。

そして、あなたは間違っていない。

 

僕の一票で何かが変わるとは到底思えなかった

 

正論である。もし世界が2つあったなら実験してみるといい。

片方の世界で投票して、片方の世界では投票しない。

結果は同じである。

投票用紙に「日本死ね」と書くのであれば

ある程度はストレス発散になる可能性もあるし

選挙権の有効利用になるかも知れない。

 

政治に関して理解出来ない部分が多すぎる

 

どうしたら景気が良くなるのか。

こんな簡単なことでさえ、私は知らない。

トリクルダウンによって景気が良くなると言われていたが

そんなものはないと竹中氏は言った。詐欺である。

 

そもそもからして、景気が良くなったと実感することは可能なのか。

私はバブル後に生まれた。

物心ついたときからずっと不景気だった。

景気が良いことを実感できたのは

団塊の世代が大量退職して、労働力の売り手市場になった時だ。

しかしそれもリーマンショックが起きて、すぐに不景気になった。

 

今の20代30代は好景気など知らないし

すでに諦めているのではないだろうか。

もはやこれが未来永劫続くと考えていても不思議ではない。

景気はこれが維持されるか、これ以上悪くなるかの2択だ。

 

選挙に行かないんだったら文句を言う権利なんてない!これって良く言われる事だけど、僕はこの主張がそもそも理解出来ないし、別になんの文句も言う気もない。

 

彼は文句なんて無いと言うが、文句を言っても良いのだ。

権利は誰にでもある。

選挙に行かないのに文句を言ったらどうなるの?

よく知らない誰かに嫌われるだけだ。

所詮、それだけなのだ。

 

政治を完璧に理解していないと叩かれる

 

政治を知るということは、こうやって人を非難するようになることである。

政治を知らなければ穏やかに暮らせるのに、知ってしまったがために

在日朝鮮人に支配されていると思い込んで、在特会のデモに参加したり

ネットで差別用語を連発したり、気に入らない意見を叩き潰そうとする。

 

これは、政治というよりもネットの暗黒面に落ちた場合である。

政治に参加するべきではないし、ネットも利用しない方が良い。

 

投票したい人も別にいない

 

政治とはファン投票である。

好きな政党、好きな政治家へ投票するのだ。

言ってみれば政治版のAKB総選挙である。

投票しなかったら指原が1位になるぞ

と言われても、どっちでもいいよと思う。

 

 選挙に行かなくても最悪の事態が起こるとは思えない

 

選挙に行かなくても震災は起きるし、死のリスクは常にある。

戦争がなくても原発がなくても、病気になるし事故にもあう。

戦争と原発がなければ死なない訳ではない。

むしろ、死ぬ覚悟を持って一日一日大切に生きたらいい。

 

kawabata.hatenablog.com

素晴らしい記事だと思っていたが、はてなブログだったのか。

当時ははてなブログの存在を知らなかった。言及させてもらう。

 

政治学では古典的な議論として、「有権者が何万人もいると、自分の1票が勝敗を左右することはあり得ないから」という理由が挙げられている。

 

教授が、「選挙に行っても、自分の1票は何の効果も持たないのだから、投票率が低いことは政治学者にとってなんら不思議ではない。むしろ、1票を投じても何の意味もないのに、なぜ人々は投票に行くのかというのを説明するほうが、非常に難しいのだ」としゃべっていた。

 

マナーだからだろう。意味があるから行くのではい。

皆が行くから行くのだ。実際には皆が行っている訳ではないけど。

行かなければならないという、強迫観念でもあるのかもしれない。

 

言論や運動を通じて徒党を組み、まとまった票を生み出すという活動こそが、政治参加のあり方として大事

 

そうそう。

安倍政治を許さないデモとか

在日特権を許さない市民の会のデモとか

そういうデモも大事。

あとブログで賛同者を増やすことも大事。

むしろ選挙より大事。

最終的には選挙で勝つためだけど。

 

ふわっとした民意より、組織票が大事。

嫌儲ニュー速+に行って、自説を広めよう!

はてなブログも政治について語るのに相応しい。

アメブロは、政治記事には向いていないので止めておこう。

 

安楽死とか議題にも上がらないし、ニュースにもならない。

私は死ぬときは安楽死すると決めているのだから

さっさと法制化して貰いたい。

議論にすらならないのでは、どうしようもない。

「支持政党なし」の前は「安楽死党」だった。

なぜ党名を変更したのだ!許すまじ!

 

あと安倍首相は安保理入りを目指すと言っているが

安保理をなくす方向で動いてもらいたい。

既得権益を手に入れようとしてどうする。

むしろ既得権益を廃止するように各国に呼びかけるべきだ。

 

あと英語の公用語化も勧めてもらいたい。

日本人が日本語しか喋れないのは、危機的状況である。

日本から出られないのだから、政治家が慢心する原因になる。

 

d.hatena.ne.jp

最後に、この記事も紹介する。

何度も読んで欲しい記事だ。

 

選挙権は二十歳以上の国民に与えられた権利であり、間違っても「義務」ではない。

 

当たり前である。義務と勘違いしている人も多い。

人に説教する前に自分が勉強すべきである。

 

文句があるなら自分で選挙に出ろ、という言い草はただのナンセンスな感情論なのは説明するまでもないが、しかし供託金なる悪制度が存在しなければ、絶対に当選する可能性がなくても選挙に出て、自分自身に一票を投じるという人間は少なくない数いると思われる

 

供託金は共産主義者を排除するために作られた。

 

社会主義政党の国政進出を防ぐ目的もあって当時の公務員初年俸の2倍に相当する2000円の供託義務が定められた

供託金 - Wikipedia

 

民主主義を標榜するなら、むしろ様々な意見を取り入れるべきだし

その足かせとなるものは取り除くべきである。

売名行為を防ぐために振るい落とすというのは、民主主義ではない。

 

たしかにだれもが「自分の一票で結果は変わらないから」と投票を棄権していけば、どんどんA候補とB候補の得票差は縮まっていくだろう。そして一票の重み が増していき、両候補が同数かあるいは一票差で並ぶ可能性が出てくるほどに投票者が減っているころになれば、僕は投票に行くようになるだろう。僕が投票を 棄権するのは、棄権と投票が結果の面から見れば完全に同じ行為だからで、もし棄権と投票の結果に差異が生じる可能性が現実的なレベルにまで高まってきてい るのであれば、僕は選挙に行く理由ができる。

 

日本の未来は私の1票にかかっている!

という状況になれば、むしろ喜んで選挙に行くだろう。

気分は幕末の英雄である。

 

同じ考えを持っている人々が団結して同じ候補を応援するのが「組織票」であれば、選挙とはすなわち組織票を集める行為に他ならず

 

さっきも言ったけど、ほんとそう。

投票に行けと言う割に政治活動は批判する人多いね。

 

有権者数を一億人とすると、僕が投票することで上昇する得票率はわずかに0.000001%だけ

 

絶望的な数字である。

実際には1億人が投票する訳ではないが

得票率が限りなく低いのは変わらない。

 

「誰になっても文句は言わないから」「棄権する」という命題が成り立っても、「棄権するなら」「必ず誰になっても文句は言わない」は引き出されないのである(「風呂に入るつもりだから」「裸になる」は正しかったとしても、「裸になっているなら」「必ず風呂に入る」とは限らない

 

目から鱗。

論理って大切やな。

 

「投票するかどうか」と「それに納得しているかどうか」はまったく別の問題である。

 

総論賛成、各論反対ということもある。

アベノミクスや集団的自衛権に賛成しても

自民党憲法草案には反対する人もいる。

選挙は細かい部分は抹殺されるのだ。

選挙は完全ではない。

 

まとめ

今回は3つのブログを引用しながら、書きましたが

是非ともそれぞれのブログを直接読んで欲しいのです。

ちなみに私は投票に行きました。

行くつもりはなかったんですけど

出かける用事があったのでついでに行きました。

選挙結果は予想通りなので、行っても行かなくても変わらないです。

日本死ねって書いときゃよかったな。