読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ペンドラゴンの思索

市井の哲学、生きることは考えること

どこへ行く!?道徳教育

今朝の新聞で道徳教育の話題が一面にあった。(2015年2月5日)

記事を読んでみると、どうやらイジメがこの道徳教育ブームの火付け役のようだ。

 

だがちょっと待ってほしい。

イジメと道徳には何の関係性もない。

イジメをする方はイジメが悪いことだと分かっているのだ。

分かった上で自分のストレスをコントロール出来ないでいる。

例えテストで良い点が取れても、それはイジメ撲滅には繋がらない。

 

イジメをなくすには、親のストレスをなくすことが必要になってくる。

親が学歴コンプレックスだったり、夫婦仲が悪かったりして

子供に愛情を十分に与えず、怒ってばかりだと子供は居場所がなくなる。

行き場のなくなった感情を自分より弱い人間にぶつけるのだ。

 

これは社会人にも言える。

文句ばかり言っている人は家庭がうまく行っていないのだ。

あるいは親に対する不満を未だに引きずっているかのどちらかだ。

 

イジメをなくしたいのであれば、保護者のケアに重点を置いて考えるべきである。

 

次に道徳教育の内容について触れたい。

自分で考えて他人と議論する、これは良いことだ。

総合的な学習の時間の発展形でもある。

私は両手を上げて賛同したい。

ただ、これは評価が難しい。

例え社会的に認められない意見であっても

論理的に考えられているのであれば

先生はそれを評価しなければならない。

サラリーマン教師にそれが出来るかどうか、心配である。

 

しかし、この道徳教育にも問題点がある。

私が自民党が嫌いな理由でもあるのだが

愛国心を養うことを目的としているからだ。

全くもって意味不明である。

イジメをなくすための方が100歩譲って理解できる。

愛国心とは国家に養われるものではない。

日本にどのような文化があって

文化は大切にしないといけない、というのを教えるのは良い。

しかし、その時なぜ大切にしないといけないのかも学ばないといけない。

 

残念ながら私には道徳がない影響なのか

道徳の時間をしっかり勉強してなかったのだろう

なぜ文化を大事にしなければいけないのかを理解できない。

学術的に価値があるのかもしれない。

しかし私達の生活には影響しない。

観光地の観光名所になるだけだ。

いや、それだけでも十分な役割だが。

 

知りたいと思った時に知れるように保護するのは良いと思う。

文化を知るときに記録でしか見られないのは残念だ。

元に戻せないものは壊さない方がいい。

そういう意味では保護する価値があると思う。

 

しかし、やはりこれはもったいないから捨てられないだけで

不必要な人には不必要なものだと思う。

文化の保存は必要な人のために必要なのだ。

 

ようするに税金は少数派の人の意見も取り入れて運営されているということです。

おしまい。

 

子どもたちが身を乗り出して聞く道徳の話

子どもたちが身を乗り出して聞く道徳の話