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ペンドラゴンの思索

市井の哲学、生きることは考えること

それは自分の考えですか?

ネットサーフィンをしているとコメントを読む機会が多いと思います。とくにはてなブックマークはコメントサービスとして機能しているので、他の人がどういうコメントをしているのか見る機会が多いです。しかし自分で考える前にコメントを見ることで、自分の意見がなくなってしまう可能性もあります。コメントを見る前に自分で考えてから、他人の意見を見るようにしたいです。

 

肩書に流されていないか、多数派に流されていないか、いつも考える必要があります。みんなが正しいと思うならそれが正しい。そういう風に自分を変えられる人はそういう生き方でもいいと思います。ただ、何となく流されていっていざ、ふと気が付いたら自分がボロボロになっているような人は流される前に自分の考えを知る必要があります。

 

記事を見て先にブックマークコメントを書くことが大切です。その後に他の人のコメントを読まないといけません。後だしジャンケンみたいに多数派に自分の意見を変えてしまうのは、自分のためにならないと思います。これがネットでなくてリアルでも同じです。他人は責任を取ってくれません。言うだけ言って最後は、お前の責任だと突き放します。

 

人生の滝に落ちるということ

孤独であること、独りぼっちであることになれないといけません。多数派は決して敵ではありません。しかし、味方にもなってくれません。ただ違う。それだけです。そういえば僕の人生は案外何も考えずに周りに流されてきたように思います。考えなくていいのは非常に楽なんです。ただ、流された先に滝があるかも知れません。

 

他の人は滝に落ちる前に岸に上がってます。僕は何も考えずに流されていたから、そのまま滝に落ちてしまったんだと思います。自分と周りが同じだなんて、そんなことは幻想です。同じように見えてもまったく違う人間なんです。自分の人生は自分で生きなければなりません。滝の下の人生が悪いわけではないですが、落ちるとやっぱり痛いです。

 

滝があると分かって、落ちると分かって落ちたのなら、それはそれで一つの生き方です。でも、過去の僕みたいに何にも考えずに落ちてしまうのは、受け身もとれないし、呼吸も出来なくなるのでお勧めしません。幸い、死には至りませんでしたが死んでいてもおかしくなかったなと思います。

 

もちろん滝から落ちるとか死ぬとかは例え話です。自分の人生を他人に預けることのリスクは経験しているはずなのに、気が付いたら他人の意見を見てから判断するようになってます。amazonの評価だったり、googleの検索結果だったり。それで知ったつもりにならずに、きちんと自分自身で体験したいです。

 

例え統計で80%の人が悪いと言っても、20%の人は評価しているのです。80%が否定すれば、みんな否定していると思うかもしれませんが全員ではありません。統計の結果を勝手に解釈するのは良くないです。自分の感性が残りの20%に入ることもある。そう想定して、覚悟して生きる必要があるのです。自分の人生を自分で歩きたいです。

 

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