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ペンドラゴンの思索

市井の哲学、生きることは考えること

これからの教育について

大学入試問題が変わるニュースがありました。記述式になるそうです。センター試験に代わって2020年度から大学入学希望者学力評価テスト(仮称)になるそうです。今までの暗記型から思考力を測るテストにするためでしょう。国語と数学が論理的思考を養成していると言われています。ならば、この形式に変わっても問題ないように思います。

 

教育の限界

2年前、僕は教育にすごく関心がありました。尾木直樹氏の著書を何冊も購入して読みました。教育が社会を支えているんだと思っていました。しかし2年たって学校教育には限界があるように感じています。1年前ならこの記事に飛びついていたでしょう。今はさほど興味がありません。

 

個人が救える人数はごく僅かです。例え僕が他人のために行動しても救える人数より救えない人数の方が遥かに多いのです。自分の限界を知って、それでも楽観的に行動できるようになるには、まだもう少し時間がかかりそうです。

 

ゆとり教育

ゆとり教育について多くの人が誤解をしています。PISA(学習到達度調査)というOECD(経済協力開発機構)が作ったテストがあります。OECDとは先進国クラブと呼ばれています。このテストの順位が下がったことがゆとり教育の失敗と呼ばれる原因になりました。しかし、加盟国が増えたことで順位が下がったという見方もありますし、ゆとり教育が2002年から始まって、PISAのテストは2003年です。1年でゆとり教育の影響が出るのでしょうか。

 

本当のところは何も分からないまま、ゆとり教育は間違いだったという流れで世論が作られていきました。やはり詰め込み教育が大事だという考えが復活する一方で、今はインターネットやコンピュータの普及で暗記は重要ではないのだから、考える力を養うべきだという意見もあります。

 

全国学力調査という国内のテストがあります。これにはA問題とB問題があり、B問題はPISAを意識した構成になっています。PISAの問題は応用力や考える力を測定する問題です。ゆとり教育はこの問題に対応するために進められています。詰め込み教育に戻したところでPISAの得点が上がる保証はありません。

 

前提が正しいかどうか考える

ここでPISAについて考えてみます。世界にはこのPISAのテスト自体に反対している教師もいます。このテストは将来、金を稼げる人材を作るためのテストだと批判しています。この主張が正しいかどうかは別として、ゆとり教育や教育問題を語るときにテストそのものについて考察されることが、あまりありません。僕が読んだ本はすべてPISAのテストは正しいということを前提に話が進められていました。

 

日本の教育は明治時代から昭和初期までは、軍隊のために存在していました。あるいは国体維持のためです。戦後、個人の権利として認知されてきました。旧来のシステムのまま解釈だけを変えたのです。本当にこれでいいのでしょうか。僕にはwindowsのOSでiPhoneのソフトを作っているように思えます。学校という仕組みそのものから考え直した方がいいのではないでしょうか。

 

教育のバイブルです。

窓ぎわのトットちゃん 新組版 (講談社文庫)