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ペンドラゴンの思索

市井の哲学、生きることは考えること

アドバイスは他者貢献か?

本当にアドバイスしなくていいのでしょうか。確かに他人の意見を聞くなという考え方は正しいと思います。本当に自分のためになっているのか分からないこともあります。ただ本当に全てのアドバイスを遮断していいのでしょうか。すべてのアドバイスを伝えなくていいのでしょうか。今一度、考え直したいです。

 

病気の友人にたばこをやめるように言うのはアドバイス罪でしょう。もし、その友人が病気を早く治す方法を探していて、それを質問してきたら答えるべきなのでしょう。「聞かれなかったから言わなかった」というのは不親切のように感じますが、アドバイス罪を避けるためにはむしろこっちの方が正しいのかもしれません。もしかしたら、その友人は例え病気になってもタバコを辞めたくない可能性もあるのですから。

 

鍵を落とした人に鍵を落としたことを伝えるのはアドバイス罪でしょうか。アドバイス罪を避けるためには、「私は鍵がどこにあるのか知っています。教えて差し上げましょうか?」と聞く必要があります。いきなりアドバイスしてはいけません。この質問さえもアドバイス罪になるのであれば、他人との会話は困難を極めます。

 

アドラー心理学では他者貢献を幸福になる方法だと説いています。そして、その過程で相手に嫌われても気にしないことだと言います。アドバイス罪で裁かれるのを覚悟でアドバイスしろということです。どちらがいいのかは分かりません。誰にも嫌われないように生きるのか、例え嫌われても相手の為に教えるべきなのか。

 

アドラー心理学

「私は鍵がどこにあるのか知っています。」なんて回りくどい言い方の方が余程嫌われます。落としたのに気が付いたら、すぐに拾って落としましたよと声をかけたほうがいいように思います。嫌われる勇気では次のフレーズが出てきます。「馬を水辺に連れていくことは出来るが、水を飲ませることは出来ない。」これはアドバイスすることは出来ても、相手に強制は出来ないという意味だと思ってます。

 

アドバイス罪については、いつも考えさせられます。しかし、やはり僕はアドバイスし続ける必要があるように思います。その結果嫌われるのも覚悟の上で。ただアドラー心理学をきちんと理解していれば、不要なアドバイスをすることはないのかなとも思います。アドラー心理学自己受容を大切にしています。自分を自分で受け入れること。本当に自分を受け入れられていたら、相手に自慢するための上から目線のアドバイスはする必要がなくなるように思えます。

 

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アドラー心理学のカテゴリーを作ってしまおうかと思うぐらいに、アドラー心理学について書いていますね。でも幸せになる勇気はまだ買ってません。買うつもりもないです。まだまだこの本から学ぶべきことはあると思ってます。読みつくして、読み足りなくなったら次を買おうと思います。